かけはし誌上コラム(かけはし掲載分) 羽田鉄工団地協同組合

後藤辯護士による法律相談コーナー
最新号(平成26年12月)
平成26年  1月 「平成26年の新年を迎えて」
2月 「会社発展のための労務管理〜人材育成の面から〜」
3月 「法化社会とアメリカにおける法に関わるジョーク」
4月 「法にまつわるお話し」
5月 「4月、新しい人財を迎えて」
6月 「法にまつわるお話し、その2」
7月 「法にまつわるお話ーその3」
8月 「平成26年度経営研究会でのお話」
9月 「経営はだれのものか」
10月 「会社経営と労働時間」
11月 「会社経営と労働時間」
12月 「会社経営と労働時間」

平成26年12月

「会社経営と労働時間」

1 本号も前号に続き、会社経営と労働時間との関連で、時間外労働に関する問題を取り上げてみたいと思います。

2 時間外労働、休日労働、深夜業を巡っては、これまで取り上げてきたように、割増賃金請求の面において、紛争が起きることが多いのですが、更には、過労死やうつ病の発症、自殺などの安全配慮義務違反による損害賠償請求の問題も起きています。
 経営者としては、これらの労働問題が顕在化することにより、会社の業績にも影響するところがあり、また、それ以上に看過できないのは、ブラック企業ではないかなどと、いわれのない悪評判が立つこともあることです。

3 これらの問題の基盤にあるのは、労働時間の問題に関係していることが理解されます。
 しかし、そもそも労働基準法には、労働時間の定義はなく、裁判例や学説を参考に労働時間を捉えて会社経営に当たっています。

4 使用者たる会社には、労働時間把握・算定義務、労働時間管理義務があり、また、労働時間把握・算定義務の免除(みなし労働時間制のような場合)の問題があるとされています。
 時間外手当(残業代)請求の根拠についての主張・立証責任は、これを請求する労働者にあるということには異論がないのですが、上記のような使用者側の義務に関連して、実際には、裁判例においてどのように判断されているのかを見てみます。

5 まず、使用者の労働時間適正把握基準について見てみます。
 使用者には、労働時間を適正に把握する責務が課されており、行政指導上、その基準は、次の6点です。
 @始業・終業時刻の確認と記録、Aその原則的確認法として、使用者の自らの現認かタイムカード等による客観的なものによる記録化、B自己申告制による場合は、労働者に労働時間の実態を正しく記録し、適正に自己申告するように十分に説明すること、正しく申告されているか実態を調査をすること、適正な申告を阻害するような措置は講じないこと、阻害要因があれば改善すること、C労働時間の記録の3年間の保存、D労働時間を管理する者の適正な労働時間の管理等、E必要に応じ、労働時間等設定改善委員会等の組織を活用し、問題点の解消につき検討すること、です。

6 これについての裁判例を見てみます。
 裁判例は、上記行政指導上の責務を法的義務とまで捉えるものがありますので要注意です。
(1) ほとんどの会社は、タイムカード(ICカードを含む)により労働時間を把握・管理していると思われますので、この場合について考えて見ます。
(2) タイムカードに打刻した出社時刻から退社時刻までの間の時間が労働時間かどうか。
 これについては、労働時間であると事実上推定される、と解するのが圧倒的に多いと言わなければなりません(仙台地裁平成21年4月23日判決・京電工事件・労判988号53頁、大阪地裁平成22年7月15日判決・医療法人大寿会事件・労判1023号70頁、甲府地裁平成24年10月2日判決・山西赤十字事件・労判1064号52頁等)。
 推定ですから、推定は覆すことはできますが、実際にはどのようにして推定を覆すのかが問題になります。
 労働者が真面目に仕事をして会社に居る時間であれば、労働時間であると言えるのですが、ただ、同僚としゃべっていたり、私事のために会社に居続けたという場合は労働時間とは認められません。しかし、タイムカードに退出の打刻をした時刻が終業時刻を過ぎていれば、その経過した時間は、労働時間と事実上  推定されるというのでは使用者としては大変困ってしまいます。
 その中でも、この点について厳しい判断をした裁判例(上記仙台地裁判決)は、次のように判示しています。
 「労働基準法は、賃金全額支払の原則をとり、しかも、時間外労働、深夜労働及び休日労働についての厳格な規制を行っていることに照らすと、使用者側に、労働者の労働時間を管理する義務を課していると解することができるところ、被告においては、その管理をタイムカードで行っていたのであるから、そのタイムカードに打刻された時間の範囲内は、仕事に当てられていたものと事実上推定されるというべきである。仮に、その時間内でも仕事に就いていなかった時間が存在するというのであれば、被告において別途時間管理者を選任し、その者に時計を片手に各従業員の毎日の残業状況チェックさせ、記録化する等しなければ、上記タイムカードによる勤務時間の外形的事実を覆すことは困難というべきである。」と。
 これまで、使用者は、タイムカードは、出退勤の確認のためのものであって、労働時間を算定するためのものではないなどという主張をしてきたところもあります。しかし、上記のような裁判例に照らせば、このような主張は認められないことになると考えられます。そうすると、使用者としては、今後、 時計片手に各従業員の残業状況をチェックするというのも現実的ではありませんので、どのようにして労働時間を把握管理するかが重要な課題になるものといえます。
 次号では、事実上の推定を覆すことについて取り上げたいと思います。


平成26年11月

「会社経営と労働時間」

1 本号も前号に続き、会社経営と労働時間との関連で、時間外手当(残業代)の定額化に関する問題を取り上げてみたいと思います。
 割増賃金は、時間外労働、休日労働、深夜業(以下「時間外労働」)に応じて支払うのが原則ですが、しかも、その割増率は、労基法37条で規定されています。この割増率を遵守しないと労基法119条1号の規定により、使用者は、6か月以下の懲役又は30万円以下の罰金に当たる刑罰を受けるおそれがあります。また、労基法は、強行法規ですから、労働者との合意によって、この労基法37条に反する合意をしても無効となります。

2 X株式会社のX社長は、社員を人財と考え、社員あっての会社だという思いが強く、できるだけ社員の幸せになるようにとの観点に立って、経営を目指す立派な経営者で、労働法にも深い関心を寄せており、労働関連法規や裁判例についても造詣の深い方です。
 しかし、X社もその職種柄、時間外労働があることは否めません。できるだけ時間外労働のない経営を目指しているのですが、どうしても避けがたいものがあります。X社も恒常的な時間外労働があります。
 時間外労働があれば、経理が一々、個々の社員の時間外労働に応じて、時間外手当(残業代)を計算して、これを支払わなければならないことになります。
 X社長は、自社のこれまでの時間外労働の実態を調査してみました。すると、ばらつきはあるのですが、おおよそ、月に50時間となることが理解できました。それなら、実際に月50時間の時間外労働になるかどうかはともかく、50時間の時間外労働をすることを前提に、この割増賃金分を固定化してこれを給与に含めて支払うこととしたいと考えました。
 法規にはこれを否定する規定はなく、裁判例等を調べると、実務では、このような固定化した残業代を支給している例もあることが分かりました。
 そこで、X社長は、A社員の月額賃金を30万円とし、その内訳を基本給25万円、業務手当5万円とし、この業務手当は、月50時間分の時間外労働の手当すなわち残業代とすることを明記し、A社員にも十分に説明しました。
 このX社の1日の所定労働時間は8時間、所定休日が土、日、祝日の119日、所定労働日数は246日(365日−119日)だとします。年間の所定労働関数は1968時間(246日×8時間)となり、月の平均労働時間数は164時間(1968時間÷12月)となります。

3 A社員は、営業課係長の青年ですが、X社長としても一定の評価をし、将来を楽しみにしていた優秀な社員であると考えていたのですが、「好事魔多し」、得意先の若い女性にストーカー行為を行い、得意先からの強行な申し入れもあったため、X社長としては、A社員を退職させることとしました。
 A社員は、退職に当たり、自分は、月50時間の時間外労働をこれまでずっとやってきた、退職金のほかに時間外手当を請求するとして、30万円÷164時間=1829円を基礎単価として、1829円×600時間(年間)×1.25(割増率)×2年間(消滅時効にかからない2年分)の274万3500円を要求してきました。
 X社長としては、A社員の請求に対して、はっとしました。会社は、残業代としては月5万円分は支払い済みでありますが、月50時間分に満たないことに気がついたからです。会社の計算によれば、基礎単価は、25万円÷164時間で、1524円となります。割増賃金は、1524円×600時間×1.25×2年間で、228万6000円となります。勿論、既に2年間分の5万円×12月×2年間の120万円を支払い済みとなりますが、足りません。会社の計算では、A社員が月50時間の時間外労働をしたとすれば、なお、残業代の未払分は108万6000円となります。

4 X社長は、A社員の請求を契機に、もういちど、会社の賃金制度につき、経理にもきちんと分かりやすく説明することとしました。
 定額残業代制度は、その要件が労基法37条に反しない限り有効でありますが、時間外労働に対応する手当を他の賃金と明確に区別して定額で支払うことが必要です。区別されていれば、当該手当額が労基法所定の計算額以上であるかどうかを判定することが可能となるからです。そして、労基法所定の割増金額以上の金額を支払っている以上、その支払額は残業代の支払となります。
 X社の場合は、その区別は明確でありましたが、月5万円の金額の支給では約32時間程度の時間外労働にしか見合わず、月50時間の時間外労働をしたというA社員の時間外労働に対する全額の支払いには達していなかったということになります。
 このように定額残業代制度であっても、予定した時間外労働を超える分については、なお、時間外手当を支給しなければなりませんので、注意が必要となります。
 経理は、固定残業代制度が導入されると、時間外労働の時間数に関係なく、その支払によって残業代は完済されると思っていたということでした。X社長は、きちんと説明しなかった不明を恥じ、内心忸怩たる思いでしたが、これをきっかけに更なる労働環境を整えようと決意しました。


平成26年10月

「会社経営と労働時間

1 思わぬところで経営に影響を与えることがある。過去2年分の残業代(時間外手当)が請求されることもその例である。残業代とは、超過勤務手当と休日手当である。特に、前者については、所定労働時間を超えて労働させた場合に生じる。一般には、残業と言われるものである。残業には早出残業もあるから、単に遅くまで労働させた場合ばかりでなく、始業時刻の前に集合させたような場合にも起きる。
 大勢の社員を抱える会社だとこの残業代の請求額は数千万円に達することはよくあることである。トヨタがかつて億を超える残業代を支払って話題になった。
 残業代が何故高額になるかと言えば、割増額となるからである。会社経営者にとっては、想定外の多額の出費である。予想していなかった支出はその多寡に拘わらず、常に会社経営に堪えるものである。
 できれば、このような不意打ちのような打撃は受けない方がよい。
 残業代の請求を受けないためには労働時間というものの理解とその管理を日頃から十全に行っていることが大事であるということになる。経営者ともなると多忙であり、社員の細かい労働時間などの管理を一々している暇はないという面もあろう。
 そこで、経営者としては、管理職に対し、労働時間の理解を深めること、そしてその管理を十全に行うよう厳しく指示・指導するようにしたい。
 また、うちには労働組合がないから、と安心していたところ、退職した元社員が合同労組に駆け込み加入して、2年分の割増賃金を執拗に求める団体交渉を申し入れてくることもある。団体交渉に忙殺されるだけでなく、街宣活動を受けたりして会社の信用を失ったり、取引先から労働問題が起きているような会社とは取引を中止するなどと理不尽な申し入れを受けることもあるので要注意である。
 問題は、労働時間についての関心の薄さにあるから、経営者としては、経営ガバナンスやコンプライアンスの面からも労働時間については重大な関心を持つようにしたい。

2 では、具体的に労働時間について知識を確かめてみよう。
A 始業時刻午前8時。終業時刻午後5時。休憩時間を途中に1時間とする1日の就業時間8時間の会社において、ある1日の社員の勤務状況である。
@甲は、午前7時に出勤し、午後6時30分に退勤した。
 この場合、合計2時間30分が時間外労働となるか。→答はイエスかノーか。
A乙は、午前7時55分に出勤し、午後5時5分に退勤したが、自宅に仕事を持ち帰り、2時間をかけてその仕事を完了した。
 この場合、2時間の時間外労働となるか。→答はイエスかノーか。
B丙は、研究職に従事する社員であるが、午前7時に出勤して会社の外庭を約30分かけて掃除し、午前8時からいつもの仕事に入り、午後5時に退勤した。
 この場合、30分ないし1時間の時間外労働となるか。→答はイエスかノーか。
C丁は、午前8時に出勤し、午後5時に一旦帰宅しようとしたが、職場のみんなが忙しそうにしていたので、みんなと合わせて午後8時に退勤した。
 この場合は、3時間の時間外労働となるか。→答はイエスかノーか。
D戊は、明日、行われるプレゼンテーションの準備のため、午前8時に出勤し、午後5時に退勤したが、帰宅中の電車の中で、1時間、プレゼンテーションのため の予行練習とその準備をした。
 この場合、電車の中での1時間は、時間外労働になるか。→答はイエスかノーか。
B ある会社の入社式日において、社員全員は、入社式の開始時刻の午前10時より2時間前の午前8時に集合するように命じられたので、同時刻に出勤した。一部の社員は、その間、入社式の準備作業があったが、A社員には、そのような作業はなく、2時間お茶を飲みながら開始時刻まで部屋にて待機していた。
このA社員の2時間は労働時間であるか。→答はイエスかノーか。

3 労働時間の判定上の難しさ
 労働基準法には労働時間についての定義規定はないが、一般に「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」と解されている。分かりやすく言えば@使用者の関与とA内容の職務性が要件とされる。
 そこで、以上のような要件を踏まえつつ現実に問題となる労働時間についてきちんとした理解をしておきたいと思う。以下は、答を導くためのポイントである。
 Aの@は、単純に言えば、10時間30分の間、会社内にいたのであるから、所定労働時間を超える2時間30分は残業だろうということになる。タイムカードの打刻は、その間は労働時間であることを推定する根拠となる。しかし、残業は勝手にできない。上司の命令(残業命令)が必要である。就業規則で1日の就業時間は8時間と規定されているからである。これを破るには上司の業務上の命令しかない。しかし、命令は、明示のものばかりでなく、黙示の命令でもよいとされる。残業を認識しながら、容認している場合は黙示の命令があったとされるから注意を要する。
 AのAは、会社の業務は、会社内で行うことになっている。就労場所の規定があるからである。自宅は就労場所ではない。上司の特別な指示命令があれば別である。
 AのBは、社員の担当する業務は決められている。それ以外は業務ではない。外庭の清掃は研究職社員の業務ではない。業務でないことを会社が命ずることはないと考えるべきである。
 AのCは、答は明確であろう。
 AのDは、Aと同じように考えられる。
 Bについてであるが、式の準備作業を命じられている社員については労働時間を観念することはできるが、A社員は、ただ開始時刻まで待っているだけである。ただし、拘束はされている。この重要な式典の開始時刻まで一定の場所で待たされている時間は労働時間か、という問題であり、使用者の関与と内容の職務性の観点から検討することとなります。


平成26年9月

「経営はだれのものか」

1 この夏、「経営はだれのものか」という題名の本(加護野忠男著・日本経済新聞出版社)を読む機会があり、示唆を受けたので、紹介させて頂きたい。
 もともと、何故、日本雇用の特長といわれる終身雇用制、年功序列制、企業別組合ができ、それが日本経済を発展させる原動力になったのかに大変興味があり、これらの制度の更なる深化と修正が今後の経営の在り方の指針にもなると考えているが、この本は、目から鱗が落ちる思いで読ませて頂いた。常日頃、人を大切にする経営を唱える人本主義を妥当と考えているので、ぴったりきたということがあるかもしれない。
 8月7日、金融庁と東京証券取引所が有識者会議を開き、上場企業の経営規律を強化し収益力を向上させるための企業統治(コーポレートガバナンス)指針作りが始まり、社外取締役の人数(増やす方向での)や企業同士の株式持ち合い抑制策を論点にしているとされる。 
 賛成派は、「厳しい規律を課せば企業は成長する」の見解に依拠している。その背景には、日本株の約3割を保有する海外投資家が社外取締役による監視を通じて企業統治の強化を求める声が多いとし、これに応えて国際的評価を得たいという思惑がある。
 消極派は、「ガバナンスを強化するだけでは業績改善にはつながらない」との見解である。国際的評価を得ようとする余り、角を矯めて牛を殺すようなことがあってはならない(日本的経営の良さを失ってはならない)とする。
 さて、皆さんは、いずれの見解に賛成でしょうか。
 この著者の立場は、明快である。
終身雇用制、年功序列制、企業別組合を日本的経営の特長として評価する立場であり、規律の強化を法律で行うとすることの弊害を説いている。むしろ、逸脱は、企業の社会的信用の低下や経営者に対する社会的な評判の低下という制裁、従業員のもつ潜在的な制裁力(企業に対する忠誠心の喪失、勤労意欲の低下など)によって抑制されているとする。日本は、アメリカのような株主中心の一元的な企業統治ではなく、自律的な企業統治を基本としながら、多元的な牽制が行われているとする。
 そして、「ルールで人々を律しようとする発想を否定し、人々の自然な道徳的判断力を信頼しようとする」立場に賛成している。部下は信頼できず、監視しないとサボるし、不正を働くという性悪説ではなく、部下は信頼でき、やりがいのある仕事を与えてやれば監視などしなくとも自らを律して勤勉に働くという性善説を採用する方が経営上良い結果をもたらしていると評価する。
 日米構造協議でもたらされた株主代表訴訟制度などは、日本企業を弱くするためであったと断じ、著者は、更に日本企業を弱くするための制度改革として、内部統制システムの過剰な導入を批判しており、日本にはこのようなシステムは不要と評している。株式持ち合いの解消・抑制も同様に批判している。むしろ、日本型株式の持ち合いは、企業にとっても、一般株主にとってもメリットがあるとしている。国際会計基準が導入されると日本的経営の良さが維持できなくなる可能性があるという。
 このように企業統治制度改革は、著者は、日本企業から元気を奪う原因となったとしている。企業経営では、悪いことを起こさせないことも大切だが、良いことを起こすようにすることの方がもっと大切であると説いている。そもそも、どんなに厳しい制度を導入しても、不祥事を完全に防ぐことはできない。そして、大多数の経営者は、不祥事を犯したり隠したりするようなことはしない、と著者は言う。この本が取り上げていることは、極めて重要で示唆に富むので、更に、紹介したいと考えている。

2 成果主義に猛反対し、日本型年功序列制、終身雇用制の効用を説くのは、学者ばかりではない。経営に直に当たっていると言える城南信用金庫吉原理事長は、明快に次のように述べている(日経ビジネス2014・7・21)。
 「年功序列を世界標準にせよ。抜擢は人を成長させない。」と。
○ 地位は報酬ではない。地位を報酬にしてリーダーを育てようとすると会社がダメになる。自分の利益のためだけに働き、地位を得たら会社を私物化する。自分の損得でしか物事を判断しない   から、新しいことにチャレンジせず、保身に走るようになる。一方で、自分が得をすると分かれば、急にギャンブルのような事業に手を出す。こうした行動は会社を滅ぼす。
○ 若手の抜擢には注意した方がよい。いきなり高い地位に就くと、周りから適切な指導を受ける機会を逃すことになる。本人の成長もそこで止まってしまう。
○ 日本企業の停滞を招いているのは、成果主義であり、停滞を打破するためには年功序列に回帰すべきである。終身雇用もセットになる。
○ 緩やかな賃金上昇の中で、社員は安心して働く。時間をかけて様々な仕事を経験する中で自身の適性を考えていくのがよい。
○ 役職によって賃金を変えず、役職手当を支給する。カネのために地位を得る考えは生まれない。
○ 成果主義で成功している企業は海外にも前例がないと思う。アメリカの製造業が成果主義の弊害でモノ作りの力が落ちた。
○ 世界に蔓延する邪説を盲目的に信じてしまっていると、経営者は早く気がつくべきである。



平成26年8月

「平成26年度経営研究会でのお話」

1 会社は、私企業である以上、利益を追求するのは当然であり、利益を重視するのは正しい。会社には大勢の社員とその家族がいる。その取引先がある。取引先の社員及びその家族がいる。利益追求はその人々のためにされなければならない。
 そして、そのためにも、会社は、持続性、永続性を保なければならない。会社が利益を上げることは、生き残ることである。闘いには「勝つ」ということである。
 勿論、他を犠牲にしてでも、自社だけが儲かればよいとか、儲かるなら、何をしてもよいということにはならない。あくまでも、商法(あきない)の道に反してはならず、正しい「勝ち方」でなければならないということは肝に銘ずるべきである。
 では、どうしたら、正しく「勝つ」ことができるのか。
 自然界では、生き残るのは極めて難しく、生き残るのがむしろ奇跡といわれる。また、自然界では、無駄な闘いはしないとも言われるから、これらに倣えば、徒には闘わないということも大切だということになる。闘うときは敢然と闘い、そして正しく勝つことを心掛けなければならないということになる。

2 会社が勝つための戦略
 「孫子」(守屋淳著・日本経済新聞出版)は、「何で勝つか、どこで勝つか、いつ勝つか」ということを取り上げているが、「なにで勝つか」、「どこで勝つか」また「いつ勝つか」ということは経営戦略としても重要であろう。
 物事には2面性があり、裏表があるので注意をしなければならないことも当然のことである。
 「勢い」で、とんでもない力を発揮することがあるが、このような「勢い」は、絶体絶命の状態や生存本能が脅かされた場合にもっとも適切に顕れると言われるから、この「勢い」を付けるために、絶体絶命の状態に置く、ということが考えられる。火事場の馬鹿力や試験前の一夜漬けは経験している方も多いかと思われる。さて、競争相手を絶対絶命の状態までに追い詰めたと思ったら、この「勢い」で、競争相手がとんでもない力を発揮して抵抗してくるかも知れない。競争相手には、その「勢い」を付けさせないための工夫が必要であるし、「勢い」を削ぐということも考えなければならない。
 組織づくりは大事であるが、会社は、人から成り立っている。人には感情もあれば、プライドもあることを忘れてはならない。
 「罰則ばかり適用したのでは兵士は心服しない。過失があっても罰しないなら、使いこなせない。兵士に対しては温情をもって教育し、軍律をもって統制を図らなければならない。」と孫子は言う。
 これこそ、人事ないし労務管理においては、小生のいう「戦略的人事、十分な教育指導、毅然たる措置」と相通じるところがあると考えられる。
 また、「人や組織は、得意とするところで案外つまずいてしまうものである。」とも言われるから、成功体験が失敗のもととなることもあること、いつまでも成功体験に酔いしれているわけにはいかないということも肝に銘じるべきであろう。

3 会社の経営上の戦略としての終身雇用制、年功序列制の再評価、時代にあった大胆な発想の転換としての高年齢者の活用について
 少子化と高年齢化社会での人手不足を考えてみる。非正規社員の正規社員化を行った全日本空輸、アルバイトを地域限定の正社員化したユニクロ、契約社員を正社員化したスターバックスコーヒージャパンやすかいらーく、パートを正社員化したイケヤ・ジャパンなどいろいろと手を打っていることが分かる。人手不足で、居酒屋ワタミの店舗閉鎖や牛丼すき家の休業や閉店ということもある。 
 雇用は、今後、「雇用期間の定めがなくなり、職務、労働時間、勤務場所が限定された正社員が増えていく」関係になるだろうと予想されている流れに沿って考えて見る。
 このような中では、高年齢者の積極的な活用も大胆に考えるべきではないかと思われる。
 その際に日本的雇用の特徴といわれる終身雇用制、年功序列制をもういちど見直してみる必要があると考える。その再評価と高年齢者活用の大胆な発想が、会社を「勝者」とする起爆剤となるような気がする。「高年齢者を活用できる環境を作れなければ会社は持続的に成長できない(勝者になれない。)。」とも言われるからである。
 日本の終身雇用制とは、「会社は定年まで解雇せず、社員は転職しない。」というものであり、「終身雇用、年功序列を基に労使協調を実現し、単なる利益追求ではなく、共同体として一体感のある組織運営をしていることが日本企業の特徴」と言われている。
 高年法は定年後も引き続き継続雇用する制度を導入した場合の雇用の態様としては、必ずしも正社員でなくとも(嘱託等としての非正規社員でも)よいと解されているから、高年齢者は、柔軟性のある雇用とすることができる。
 高年齢者は、筋力の低下、視力の低下、記憶力の低下、疲れやすさ、それらによる能力の低下があることを十分に理解したうえで、適材適所を考える必要がある。早朝勤務などには極めて適しているものと考えられる。またもはや、転勤や賃金アップ、出世ということは考えないだろうから、職種限定、地域限定で行くこととなる。終身雇用制、年功制のメリットは、会社の承継に適している。ノウハウ、歴史、伝統、文化を伝えることを期待できる。社員には忠誠心を要求し、その代わり、会社はしっかりと面倒を見る関係である。能力主義、成果主義は、労働時間で賃金を算定するのではなく、能力、成果で算定するというものであるから、労働現場での協調性が期待できなくなるという弊害がある。自己の成果を上げるため他者には構っていられなくなるからである。また、成果の判定は極めて困難であり、成果を早く上げようとして無理が生じるおそれもある。
 会社としては、どのような雇用上の方策を講じるべきかという課題が突きつけられている。いち早く適切な対策を講じた会社が勝者になるのではないか。


平成26年7月

「法にまつわるお話ーその3」

 本号は、「法にまつわるお話」の続きということで、肩の力を抜いてお読み下さい。このようなたわいのないエピソードでも法が支配する社会ということはどういうことなのか、を考える参考にはなるのではないでしょうか。

 下記のジョークは、国民性やお国柄の違いをジョークにしたもので、あながちジョークだけに限らないように思えるのが、より面白さを演出しています。
 前号の国際船の話の続きのようなものです。その国民性、国柄をよく現しているといえます。

 今回も、紹介するジョークは色々なバージョンがあります。海外のジョークは弁護士や裁判制度を皮肉っていたり、狡猾さを全面に表すものが多いです。
 その背景としては、弁護士という地位は、一面では非常にステータスの高いものとあがめられ、自分の子どもをどうしても弁護士にするのだという親も多いのです。他方では、弁護士とは、成功報酬として多額の金額を手に入れるなど、欲張りで物欲心が強い生き物(アンビュランスチェイサーと呼ばれる弁護士)であるように思われているところもあります。最近では日本でも弁護士はある程度の宣伝ができるようになりましたが、先を行くアメリカは想像を超える宣伝をしています。この点も批判的対象となっています。

1 ビアホールでのひととき
 暑い1日が終わりました。仕事帰りに、ビアホールでビールを呑んで疲れを癒そうとしました。アメリカ人、フランス人、ドイツ人、日本人の4人が一緒です。
 テーブルに座り、それぞれが大ジョッキのビールを1杯ずつ注文しました。
 ウェイターが持ってきたジョッキには、なんと、いずれにも白い沫に混じってハエが一匹ずつ入っていました。
 Aは、「マネージャーを呼べ、ハエが入っているとは何事だ。訴えてやる。」とひとしきり大騒ぎをして、さらに大ジョッキでビール1杯を注文しました。
 Bは、「弁護士を呼べ、訴えてやる。」と言って、3杯の大ジョッキのビールを要求しました。
 Cは、「ハエぐらいで騒ぐのは,大人げない。ビールには殺菌作用がある。」と言って美味しそうにぐいぐいと飲み干しました。
 Dは、「ハエぐらいで騒ぐのは、はしたない」といって、ハエの入ったビールは気味が悪く呑めないので、そのジョッキはそのままで、もう1杯,新しい大ジョッキのビー  ルを注文して、2杯分の料金を支払った。

 さて、上記のように反応したのはそれぞれどの国籍の人でしょうか。
 Dは、なんとなく、日本人のような気がします。AとBの違いはなんでしょうか。Cの国は、ジャーマンポテトやソーセージなどを肴によくビールを呑むのだそうです。

 この話にもいろんなバージョンがあります。
 例えば、4人の仲間で、昼食のためレストランに入りました。みんなカツ丼を頼みました。運ばれたカツ丼には、髪の毛が入っていました。
 「店長を呼べ」とひとしきり大騒ぎをしたうえ新しいカツ丼を注文した。
 「弁護士を呼べ。訴えるぞ。」と言ってカツ丼3杯を求めた。
 「髪の毛の入っているカツ丼など食べられないと思ったが、髪の毛ぐらいで騒ぐのは大人げないと黙ってその部分を除けて食べた。」
 「髪の毛の入っているカツ丼など食べられないので、代わりのカツ丼を注文」したうえ、その代金も支払った。
 というバージョンです。

 次のような話もあります。
 あるアメリカ人のビジネスマンがヨーロッパを列車で旅していると、葉巻の栽培家というキューバ人と、ウォッカの酒造家というロシア人と、弁護士というアメリカ人に出会った。
 彼ら4人が仕事の話をしていると、キューバ人が4つの葉巻を取り出し、各々に配った。キューバ人は自分の葉巻に火をつけ、一口だけ吸うとそれを窓の外へ投げ捨てた。キューバでは葉巻はあり余るほどあるから、もったいなくもなんともないのだという。夕食後、ロシア人がウォッカのボトル4本を各々に回した。彼は一口だけグイッと飲むと、ボトルを窓の外へ投げ捨てた。ロシアではウォッカは腐るほどたくさんあるから、もったいなくもなんともないのだという。
 アメリカ人のビジネスマンは、沈黙しながら居座り、数分間熟考した。
 そして起き上がると、弁護士を窓の外へ投げ捨てた。
 (引用 アメリカンジョークに習え! http://www.americanjoke.com/ )
 このジョークでは、偶然居合わせた各国の国民が、その国で掃いて捨てるほどあり余っている物を、その名の通り列車の窓から捨てていきます。アメリカでは、掃いて捨てるほどあり余っている物は、ビジネスマンにとって弁護士だったということです。
 アメリカの弁護士人口は、100万人を超えており、日本の弁護士人口約3万5000人の約30倍になっています。ニューヨークでは、石を投げると弁護士の頭に当たるなどとも言われているほどです。

 他のバージョンもあります。ドイツ人はビールを捨てたり、日本人は日本酒を捨てたり、ハワイ人は日本人を捨てた、などといった具合です。


平成26年6月

「法にまつわるお話し、その2」

 本号は、法にまつわる(関連する)お話、の続きということで、肩の力を抜いてお読み下さい。しかし、それでも法が支配する社会ということはどういうことなのか、を考える参考にはなるのではないでしょうか。

 下記のジョークは、国民性やお国柄の違いをジョークにしたもので、あながちジョークだけに限らないように思えるのが、より面白さを演出しています。

 このジョークでは、一刻を争う絶体絶命の事態に際し、その国民性、国柄を考慮して、一番効き目のある言葉を船長が叫びます。

国際船の難破の話

 多国籍豪華客船でクルージング途中、船は、岩礁に衝突し、船底に穴があいてしまい、海水がどんどんと船内に入ってくる状態になった。間もなく沈没するかも知れない。その前に全員を安全に退避させなければならない。しかし,乗客はパニックになり、救助船になかなか乗りこまないし、救助船も数に限りがあり、乗れない方には、海に飛び込んで貰わなければならない。
そこで、船長は一計を案じた。

○ ドイツ人乗客に向かって
 「至急救助船に退避してください!!、男性は、海に飛び込んでください。これは命令です!!」
といったら、ドイツ人乗客の婦女子は救助船に乗り移り、男性は海に飛び込んだ。
○ 次ぎに、ロシア人乗客に
 「アメリカ人はみんなこの船に残るぞ!!」
といったら、そそくさと乗り移ったり、海に飛び込んだ。
○ 今度は、アメリカ人乗客に
 「安心してください。後で、優秀な弁護士をつけてあげます。」
といったら、みんな乗り移ったり、海に飛び込んだ。
 他の言い方としては、「安心してください。皆さんには保険がかかっています。」がある(アメリカは、弁護士社会であり、保険大国でもある。)。
○ イギリス人乗客に
 「レディースアンドジェントルメン、皆さんは淑女であり、紳士です。淑女なら、すぐに救助船に退避してください。紳士なら海に飛び込んでください。」
といったら、みんな乗り移ったり、海に飛び込んだ。
○ 最後に、日本人乗客に
 「ほらほら、みんな他の人は乗り移ってますよ〜。乗り移らないと、流れに取り残されますよ。」
といったら、列を作って順番に乗り移った。

(引用 世界史系ジョーク集http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Cupertino/2261/sekaishi/index.htmlに私なりに少し脚色しました。)

 この船長の言葉は、各々のお国柄を象徴しています。
 アメリカは、訴訟社会アメリカ、死刑大国アメリカ、保険大国アメリカと言われています。アメリカでは、損害保険が進んでいると言われます。
 ドイツは、秩序を重んじ、キャプテンの命令は絶対と考えている国と言われています。
 イギリスは、紳士の国、淑女の国と言われます。
 ロシアは、やはりいまでもアメリカと友好関係を築くことはかなり困難であると一般的には考えられているのでしょう。
 日本は、護送船団で守られ、横並びの国民性を持っていると言われます。バブルの頃に、金融機関が十分な担保価値がない物件に、他の金融機関がやっているなら、当行もというようにこぞって多額の融資をして担保を付けたことは記憶にあるとおりです。
 弁護士を皮肉ったジョークを口にするアメリカ人ですが、意外にもこの緊急事態には「弁護士をつける」ことが重要になります。ここから伺い知れることは、アメリカ人には、弁護士はその存在を批判できるほど身近なものであると同時に、市民生活をする上で欠かせない存在なのだということです。

 なお、このジョークには、次のバージョンがあります。

 この多国籍豪華客船には、アメリカ人、イギリス人、ドイツ人、イタリア人、日本人が乗っていました。船は、氷塊に衝突し、難破した。救命ボートは、女子と子ども分しかない。船長は、男性には暗くて冷たい海に飛び込んで貰わなければならない。
 そこで、船長は,次のように男性に言葉をかけた。

ア 「男性は、海に飛び込んでください。これは命令です。」
イ 「あなた方には保険がかかっていますから、海に飛び込んでください。」
ウ 「ユア ジェントルマン。紳士なら、海に飛び込んでください。」
エ 「飛び込むな。」
オ 「みなさん、飛び込んでいます。そろそろ飛び込んでください。」

 これらの発言はどの国の男性に向かって発した言葉かは既にお気づきになることでしょう。


平成26年5月

「4月、新しい人財を迎えて」

 4月は、新入社員を迎えて、活気あふれる時期です。
 さて、新入社員は、それぞれの会社において、どのような心構えで実社会での一歩を踏み出すべきであろうか。また、これを受け入れる側は、新入社員の中からいかにして人財を発掘していくのでしょうか。

1.失敗から何を学ぶか。
 今年のみずほフィナンシャルグループの合同入社式で1456人の新入社員の前でのトップの言葉は、「失敗を恐れないでほしい。むしろ、失敗で何も学ばないことを恐れてほしい。」との祝辞を述べられたとのことです。
 確かに、人間である以上、やることに完全はありません。失敗はつきものです。「あってはならないことが起きた」と不祥事が起きるたびに、釈明と謝罪がされることがあります。「あってはならないことが起きた。」のですから、隠したくなります。隠蔽が起こります。しかし、人間の行うことに完全はない、と考え、むしろ、肯定的に受け止めたうえで、「では、どうしたら起きないようするか」と考えた方が建設的だろうと思います。
 何もしなければ失敗もないでしょう。失敗を恐れては何もできないし、何かを行ったら、成功もあれば失敗もあります、ということを肝に銘じなければなりません。
 でも、・・・と考えます。単純な失敗ばかり、言われたことがうまくできない、もう少しうまくできるのではないかと思っていたがそれほどでもなかった、結果が出ない、他の同僚はうまくいっているのに、という場合があります。
 どうして自分はうまくいかないのだろうと悩みに悩みます。しかも悪いことにそんな時に限って、失敗は連鎖することがあります。
 しかし、明けない夜はなく、止まない雨はない、のですから、諦めず、前を向いて進んでいくことが大切です。

2.研究と創造の大切さ
 近頃、言われたことはそこそこやるものの、言われたことしかやらないという人が増えていると言われます。自ら考えて、こうしたらよいのではないかという研究心、発想(創造力)がなく、言われないことはやらない、という指示待ちの人間がおります。
 エイチ・アイ・エスの澤田秀雄氏は、企業再生の星のひとりで、長崎のハウステンボスを赤字会社から見事に黒字会社に再生させたことで注目を集めています。
 それでも協立証券(現HS証券)の買収の失敗を経験しています。門外漢のビジネスに足を突っ込むことの恐ろしさを知ったと述懐されています。その失敗から企業買収の成功のために必要なことを学んだと言っています。仕事が人を成長させると言いますが、「日々の研究と創造」がいかに大切か、ということが分かります。その地道な積み重ねが他との差を付けていくこととなります。実社会では、必ずしも、自分の適性に合った職場に配置されるとは限りません。「もっと自分に合った仕事をさせてくれれば、実績も上がるのに。一体、上は、ちゃんと私の能力を見ているのか。」と言いたくなるときもあるでしょう。しかし、嘆く前に、能力のある人は、どこに配置されようと、その与えられた場で、力を付け、次の仕事のために活かせる知識・経験を着々と身に付けているものだということを忘れてはなりません。
 どこでもいつでも「研究と創造」です。実社会では「努力は裏切らない。」のです。「研究と創造」には仕事上の工夫も含まれます。
 さて、あなたは、上司から「この記事をコピーしてくれ」と指示されたらどのように応えますか。コピーの取り方ひとつ例を挙げてもその人の評価に差が出てきます。
@当該記事部分をコピーする。
A当該記事部分を拡大してコピーする。
Bコピーしたものの出典が分かるように、手書きで何年何月何日付けの何何の記事と書き入れる。
C記事の重要な部分にマークするなどして提出する。
Dその記事が他にも掲載されているかを調べて、それも一緒にコピーして揃えて提出する。違いがあれば、違う部分にマークなどして分かりやすくする。
E当該記事部分を読み込み、コピーを命じた上司の意図を考察し、この記事に関係する他の資料等を集めて一緒に提出する。
Fそれらをまとめて書面化して提出する。
 勿論、上司の指示が「単に、その当該部分をすぐコピーしてくれ」というものであれば、上記Fまでのことをやる必要性も時間的余裕もないことでしょう。要は、指示の真意をいち早く察することが必要ですが、それでも,常に@の段階に留まっているなら、評価は低いものになるでしょう。

3.人間である以上、健康に気をつけていても、病気になるときもあります。また、思わぬ不祥事に巻き込まれることもあります。自らの責任でというより、不条理ですが、他人のせいで責任を取らされることもあるでしょう。組織として考えた場合、やむを得ないことです。一寸先は闇であるとも言えます。いま置かれている部署で精一杯を尽くす、このことが大事なのだと気がつくはずです。

4.やがて人の上に立って部下を指導しなければならない時期がきます。
 そんな場合には、何か気の利いた言葉も発しなければならない、と悩みます。どんな言葉がよいのか、どんな知識を身に付けなければならないのか、と考えます。
 ヒントがあります。かの有名な稲盛和夫氏は、最初は、先人の言葉をそのまま借用して使えば良いと言っています。自らもそうしたと言っています。そのうち自分の言葉になる、と言っています。最初は先人の物まねでよいということのようです。それを積み重ねていってやがて自分のものにすれば良いのです。


平成26年4月

「法にまつわるお話し」

 本号は、法にまつわる(関連する)お話、ということで、すこし肩の力を抜いた内容とします。しかし、それでも、このような話を通して、法が支配する社会ということはどういうことなのか、を考える参考にはなるのではないでしょうか。

1.アンビュランス・チェイサーとは、救急車を追いかける人と翻訳されます。
 文字通りであれば、救急車を呼んだが、心配のあまりその後を車で追いかける家族のことを指すように思われます。
 しかし、アメリカでは、弁護士を指しています。
 救急車の後を追いかける弁護士とはどういう弁護士でしょうか。日本ではちょっと考えつきません。救急車の行き着くところ、事故があるということで、救急車を追いかけて事故現場に行き、加害者又は被害者に弁護士の名刺を差し出して、是非この件を私に任せてください、着手に当たっては、費用は一切かかりませんが、勝訴したらその賠償金の3分の1を下さいなどと働きかけて(営業して)、事件の受任をする弁護士達を、アメリカではこう呼んでいるのです。
 被害者又は加害者は事件依頼につき、ひとまずお金がかからないのですから、勝敗は別にして、この弁護士に委任することになります。こうした営業活動で受任する弁護士がいる限り、事件はどんどん増えていくということになります。
 The more lawyers,the more processes.
 この意味は、弁護士が多くなればなるほど、訴訟が多くなる、ということです。正に、アンビュランス・チェイサーは、訴訟を増加させる原因にはなっているでしょう。
 日本でも弁護士数がむやみに増えた場合そのおそれがないとは言えないのではないでしょうか。
 アメリカの漫画には、弁護士ビル前の路上で車同士の事故が起きた瞬間に窓という窓から弁護士が乗り出し、あるいは玄関から一斉に多数の弁護士が名刺を手に手に飛び出してくる様が描かれているものがあります。交通事故程度でこの有様なのです。
 もし、この号を読んだ方で、アメリカの弁護士には本当にそういう者がいるのかどうかを調べたかったら、今後、事故に関する新聞等の記事がでましたら、是非、気を付けて見て下さい。
 アメリカ映画「THE VERDICT」(日本名 評決)では、このアンビュランス・チェイサーのことを「三百代言」と翻訳しています。三百代言とは、日本では、弁護士法ができる前の代言人を指しており、資格のない弁護士を軽蔑して呼ぶ時の呼び方です。言葉巧みに相手を言いくるめるという意味です。良い言葉ではありません。

2.日本でも、日常生活で使っている言葉の中に裁判や法に関する言葉があります。
 例えば「土壇場」という言葉です。皆さんは、どういう意味で使っているでしょうか。
 「せっぱ詰まる」とか「ぎりぎりの状態」という意味で使っていると思います。
 実は、「土壇」とは、土を一段高く盛った場所ということです。この壇という字は、教壇という言葉でなじみがあるかと思います。教壇とは、教員が立っている少し高いところですね。
 土壇の土が高く盛られている場所とは、切り場すなわち、首を切った場所、死刑場を指します。つまり、死刑が執行される場所をいうわけです。土壇場とは、したがって、今にも死刑執行されようとしている場にいるということですから、正に、せっぱ詰まり、ぎりぎりの状態というわけです。そこから今の意味になったのです。 

3.「くさい飯」という言葉があります。臭い匂いのするご飯のことでしょうか。
 「くさい飯をくった」といえば、刑務所に入ったことを意味します。何故、刑務所に入るとくさい飯をくったということを言うのでしょうか。
刑務所は、原則として、独房で、その房内にはトイレもついており、そこで用を足すこととなります。したがって、トイレがあるから、房内は臭い、だから食べるご飯も臭い、でしょうか。
 いいえ、そうではありません。
 刑務所で出されるご飯は、白米ではありません。麦飯です。かつて刑務所では、麦の方が白米より割合が多く、したがって、ご飯は麦の匂いがして臭いという表現がされました。「くさい飯」とは麦飯を指すということです。
 刑務所では、麦飯を出すので、「くさい飯をくった」という表現で受刑したことを表すことになったと言われます。
 もうひとつ。
 「むしょ帰り」という言葉があります。刑務所帰りという意味で、受刑者のことを指すというのが一般の理解でしょう。「むしょ」とは「(刑)務所」すなわち刑務所の刑を省いた言い方であるという捉え方です。
 ところが、この言葉は、大昔からあった言葉と言われます。すなわち、現在の刑務所になる前は、監獄というものでしたが、その監獄の時代からその表現があったと言われます。監獄のころから、「むしょ帰り」と言う言葉が存在したということであれば、「刑務所」帰りを指すということは言えないことになります。
 「むしょ」とは、「六・四」の意味だと言われます。「六」を「む」、「四」を「しょ」と呼んで「むしょ」となったと言われます。すなわち、麦が六、白米が四の割合によるご飯のことを指しているというのです。監獄では、麦の割合が白米の割合より多かったということからきています。
 麦が多いご飯は、「くさい飯」であり、それを食してきた者(受刑者)は、「くさい飯をくった」者であり、また、「むしょ帰り」と言われたというものです。


平成26年3月

「法化社会とアメリカにおける法に関わるジョーク」

 本号では、法が支配する社会ということはどういうことなのか、を考える参考に、法化社会の先進国であるアメリカにおける法律家に向けられたジョークなどをご紹介いたします。
 日本でも現在では、弁護士の就職難が叫ばれています。それだけ弁護士が増えたということを意味します。弁護士が増えれば、訴訟が増えるという諺をかつて紹介したことがありますが、訴訟社会アメリカ、弁護士社会アメリカでは、ニューヨークで、石を投げれば、弁護士の頭に当たると言われるほどに弁護士が多いと言われています。東京でもそんな時代が来ているでしょうか。

1.マンションの1室を借りている者が電球を交換するのに、弁護士が何人必要ですか。(平野・模範ロイヤー・ジョーク百選 国際法務事情29巻8号1010頁)アメリカでは、答えは3人です。どうして3人必要なのか、と言えば。
 「Objection, Your Honor!!(オブジェクション、ユアオーナー)」という言葉を聞いたことはありませんか。アメリカの法廷物の映画や、ドラマなどには頻繁に出てきます。
  “Objection”とは「異議」を述べること、“Honor”は「裁判官」のことであり、「異議あり、裁判官」というフレーズは、法廷物としては「異議あり」と和訳します。
 弁護士は、相手方の主張や立証を妨害するために、法廷ではとにかく頻繁に「異議」を申し立てています。
 まず、電球の交換を請け負った者のために弁護士が1人必要となります。そして、マンションの1室の賃貸人に雇われた弁護士1人と、その賃借人に雇われた弁護士が1人必要となるというものです。
 賃貸人には賃貸人の電球に対する注文があり、賃借人には賃借人の注文があります。賃貸人の注文に対し、賃借人はそれを受け入れられない場合は異議を述べるために立ち上がる必要があります。電球を交換する業者には、業者なりの考えがありますから、賃貸人、賃借人の注文に対して、受け入れられない場合は異議を述べなければなりません。そのために都合3人の弁護士が必要になるということです。
 このジョークは、たかが電球交換ごときについても、法的論争を回避するためには、法律家に依頼しなければならないという、弁護士社会アメリカを見事に象徴していると言えるでしょう。

2.しかし、このような話はジョークだけとは限りません。コーヒーを買ったら、コーヒーが熱すぎ火傷したため、訴訟を起こした事件や、猫を電子レンジに入れて乾かそうとした猫が死んだために訴訟を起こした事件は有名ですから、ご存じの方も多いでしょう。

3.ある学校で、先生が生徒から自転車を借り、しばらくして生徒に返却しましたが、“生徒は自転車のタイヤが減っている”ことを理由に、その減った分の損害賠償金として9ドルを請求するために裁判を起こしました。驚いたことに、裁判を提起された先生は、応訴するために、自らも弁護士を依頼しました。また、ウイスコンシン州の高校生が“夏休みにアルバイトをしたため、宿題が出来ず、上級者クラスの予習も出来なかった。宿題を出す方が悪い、宿題をなくせ”と訴訟を起こしました。このような訴訟でも弁護士を依頼して提訴するわけです。提訴する方もする方だが、受任する弁護士も弁護士だという批判的見解を日本人なら誰でも持つと思います。些細なことでも訴訟になり、およそ法的紛争とも言えないようなことでも訴訟になり、法化社会と言われるアメリカでは、もはやジョークもジョークにならないような訴訟が現実に起きています。
 不良少年がこんな人間にした親が悪いといって親を訴える訴訟もありました。

4.このような訴訟社会アメリカでは、訴訟に対して敏感にならなければならない社会でもあります。
訴訟されないための予防策として、メーカー等は、時にはばかばかしいと思われるほどの注意書きを表示しています。
 例えば、トイレ用ブラシに、「人の身体を洗うために使用しないでください。」、子どものおもちゃであるバットマンのマントには、「これでは空を飛べません」、ヘアドライヤーには、「シャワー中に使用しないこと、決して寝ている間に使用しないこと」などなど。
 けっして、真面目にしろ、と怒ってはなりません。みな訴訟対策として真剣に取り組んだ結晶なのです。

5.また、2005年10月、アメリカの下院では「食品消費個人責任法(The Personal Responsibility in Food Consumption Act)」、通称「チーズバーガー法」が可決されました。肥満の原因として食品産業が訴えられることが多いことに対し、個人の肥満は、メーカーや業者を訴えるべきではなく、個人の食生活等に配慮し、解決すべきであるという内容の法律です。

6.さあこれから始まる日本における法化社会は、今後どのような様相を呈してくるでしょうか。無関心ではいられないのではないでしょうか。


平成26年2月

「会社発展のための労務管理〜人材育成の面から〜」

1.本号のテーマは、労務管理としての人材育成に関するものです。
 経営者は、自社の永続的な発展のために、社員に対する人材育成の自覚とその必要性を常に感じていなければなりません。
 社員にはいろいろなタイプがあることがわかります。人材育成において、その前提としてコミニュケーションの大事さはいうまでもないのですが、そもそも、タイプの異なる社員にどのようなコミニュケーションを採ったらよいのか、社員の特性を活かしたコミニュケーションを採るにはどうしたらよいのかを考えなければならず、この対応を間違えると人材育成にはならないことになります。
 社員を次の3つのタイプに分けてみることもできるのではないかと思います。
ア 落ち着きがなく、大なり小なりのミスの多い者。が、憎めないところがある。
イ 真面目で、おとなしく、表だって悪いことをすることはない者。が、何を考えているのか、本心が分からないところがある。
ウ 快活で、優秀で、何事も任せられ、リーダー的素養もあると考えられる者。が、意外に挫折に弱いところがある。
 必ずしも、このような3つのタイプ別に分けることが良いことなのか疑問もあるかも知れないし、分け方としては万全ではないところもあります。
 経営者としては、上記3つのタイプの社員につき、優劣をつけるとすれば、ウ→イ→アの順序になるでしょう。ただし、ウに属する社員だけで会社が成り立つものではありません。

2.経営者としては、3つに分けたタイプにつき、どのように対応するのが良いのでしょうか。
 アの社員について 
 落ち着きのない、ミスの多い社員には、日頃から、地道に指導・教育をすることとになります。
 落ち着いて仕事をするように、早く仕事に慣れるように、小さなミスもなくすように、小さなミスも重なるといつか大きな事故につながるぞ、などと口を酸っぱくして、注意をすることとなります。時には、職制上の注意処分や就業規則上の懲戒処分をしなければならないこともあるでしょう。担当職務もその性格等に照らして考えなければなりません。
 しかし、他方、注意、叱責などを通して会話が交わされるので、コミニュケーションが結構採れていることも多い。そのうえ憎めない性格の社員であれば、注意や叱責なども後に残さず、うまく信頼関係が保てる場合もあります。
 そのような社員でも年季を経て、あるときの経営者からのちょっとしたお褒めの言葉などを契機として、落ち着いていく社員も出てきます。
 落ち着けば、自然とミスもなくなることはいうまでもありません。
 イの社員について
 可もなく不可もなく、さしあたって会社にとって害になるようなことをするわけではないので、経営者としてはとりあえず心配がない社員です。しかし、もっとも大切なコミニュケーションが採れないのですから、このまま放置することはできません。何を考えているのか、その本心を明かさないのは何故なのか。単なる性格的にシャイなだけか。性格を一朝一夕にして直すことはできないでしょうから、その性格を活かした職務の配置等を考えなければなりませんし、他の社員との組み合わせも考慮しなければならないでしょう。口数が少なくても済む仕事を割り当てながら、会社に貢献して貰わなければなりません。しかし、本心を明かさない理由が、単に性格の問題によるものでなかったとしたら、どうでしょう。
 何か重大な問題を抱えているかも知れません。家庭内に問題があるのかも知れません。恋人を含めた友人との間に問題があるのかもしれません。あるいは前職で重大な問題を起こしたのかも知れません。その問題を解消しないかぎり、内にこもった状況は変わらないことになります。
 経営者としては、その社員の上司や同僚あるいは部下を通じて、コミニュケーションを採る方策を講じて、「腹を割って」話してみるしかありません。それをせずして、心底、信用したり、一緒になって会社のために何かを成し遂げようとしても難しいだろうと思われます。
 ウの社員について
 快活で、優秀で、何事も任せられ、リーダー的素養もあると考えられる者は、一般に会社にとっては望ましい社員であり、経営者は、将来有望な人材として処遇をしていることでしょう。経営者の信頼と信用には絶大なものがあります。
 ところが、こういう社員は、致命的な失敗をしたり、重大な叱責や注意をされた経験がありませんから、挫折したという経験がありません。そのため、たまさか何でもないはずなのに、仕事上の失敗をしたり、コミニュケーションがうまく採れない部下に手こずったりして、自信をなくしてしまう場合があります。耐性がない分、そのショックが当該社員に与える影響度は却って大きいものがあります。これを放置しているとせっかくの人材を失ってしまうおそれがありますから、経営者は速やかに適切な手を打たなければなりません。

3.経営者は、社員にもいろいろなタイプがあることを前提に、人材育成をしていかなければならないし、そのタイプに合ったやり方をしなければ、せっかくの人材育成は効を奏さないものと考えられます。
 経営者は、会社という組織を守らなければならないと同時に社員をも守らなければなりません。このような観点から人材育成に努めるべきものと考えます。


平成26年1月

「平成26年の新年を迎えて」

1.新年おめでとうございます。
 羽田鉄工団地協同組合は、昭和42年に設立されたのですから、間もなく50周年を迎えることとなります。誠に喜ばしい限りです。
 「会社50年」と言われます。しかし、企業は、永続性を志向するものです。私達も100年企業を目指して組合員の会社の皆様とともに一層の発展を遂げるべく頑張りたいものです。

2.さて、組織(会社)として生き残るためには、3つの力を持っていなければならないと言われます。募集力、教育力、定着力の3つです。
 来てほしい人に来て貰える組織(会社)
 採用した社員に対して十分な教育・指導を行える組織(会社)
 そうして鍛えられた社員は途中退社ではなく、ずっと勤務したくなる組織(会社)
 このような3つの力を有する組織(会社)になり、永続するためにはどうしたらよいのかを常に考えなければなりません。

3.まずは、当然のことながら本業としての業務のさらなる改善・発展が必要です。商品(製品、業務)は、安全、安心なものであることはいうまでもなく、時代に適合したものでなければなりません。その時代に適合したものだけが生き残るということだからです。したがって、常に、時代に適合しているかどうかに神経を使わなければなりません。
 「変わらないためには変わらなければならない」の言葉どおり、永続するには、時代に適合するような変化・改善を日々遂げていなければなりません。

4.しかし、忘れてならないことは、組織(会社)を支えるのは社員であるということです。組織(会社)は、社員としての人材の育成・養成が枢要ということになります。人材は、人財とも言われるように財産と考えなければなりません。組織(会社)は、社員あっての組織(会社)であり、社員の幸せを求めて事業を展開していかなければならないのです。
 では、人材育成、養成のためにいかなる適切・有効な人事管理を講じるべきかということになります。一般に、これまでの日本の伝統的な組織(会社)は、採用した社員には厳しい要求をしつつも、その代わり、育成の機会と雇用の安定を保障してきました。だからこそ社員は、そのことを意気に感じて、会社の歴史、伝統、文化、ノウハウ等を受け継ぎ、次世代に伝承していくということをやってきました。これと真逆なのが、ブラック企業といわれる会社です。厳しい要求をするが、育成の機会と雇用の安定を保障するという前提がありません。大量に採用し、体力と気力のあるうちは徹底的に働かせ、その結果、社員が心身を壊したり、ノルマを達成できないと「能力不足」を理由に退職に追い込みます。大量退職も発生します。社員の使い捨てと言われます。また、こういう会社は、大量に退職するため、大量に採用せざるを得ないこととなるわけです。大量採用に惑わされ、大きくて良い会社だと錯覚してはなりません。その錯覚が前途有為な若い人材を多数損なうことにもなりました。これが労働法分野におけるブラック企業の問題です。会社の歴史・伝統・文化・ノウハウというものが伝承されることはあり得ません。会社の本質である永続性の志向に真っ向から反します。

5.コンプライアンスを遵守するのは労働法分野ではもっとも困難であると言われます。最近の労使紛争の多くは、個別労使紛争と言われるものです。これら労使紛争の原因は、労働者側にその法的知識等がないためであるとも言われ、労働者は、労働時間や賃金、採用・解雇等につき労働基準法の基礎を身につけておくことが大切であると言われますが、実は、労使紛争の原因には、使用者側にも労働基準法等の労働法の知識の欠如があるとも言われます。法令遵守を標榜する大手の会社が意外に労働法に反することを平然とやっている場合があるのです。社員は人財と考えるならば、その前提として、正常な、かつ法適合的な労使関係を構築することが必要です。このような関係を築くには、信頼関係がなければなりません。
 医療においても「薬から人へ」とか「こころの治療を」などと叫ばれるようになっています。人(患者)を診ず、検査データ重視の治療から、人を重視した医療への警鐘です。
 労使関係も人と人との関係で成り立っているものですから、信義則に基づく信頼関係が大事であり、その中心にあるものは「こころ」であるということになります。

6.新年に当たり、100年までの次の「架け橋」となるべく、今年も切磋琢磨していくため、気持ちを新たにしたいと思います。


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